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Face Book 始めたけれど・・・。

もう年の瀬だね。今年も色々とあった。 反大衆的思想人間な俺は今年はどういう年だったから来年はどういう年にしようとか考える事は無意味で、全て必然で運命なんで、とりあえず努力をするという事。

ただ一つ今年、なかなか本気で着手出来なかったのが「Facebook。ミクシイは完全撤廃。
ツイッターは活動休止状態。 Facebookは登録はしているものの本格始動できずにうろたえていた。
数少ないが友人方々からお友達になって頂き、それでも一度も交流せず・・・。

しかし、決断した。以前よりも時間にゆとりが出来た事も有り、(こうやってブログを更新している事が何より証拠)FaceBookを本格始動する事に決めた。
来年の抱負を述べるならば、唯一、これを活用し、苦手だったコミュニケーションを実践しようと決断したのだよ。

既にやられている方、お客様。ビギナーではありますが是非とも宜しくお願い致します。
 
tsushimi seiji で探して下さい。是非是非
by seijitsushimi | 2010-12-30 12:24

「詫び寂び」の心情・・・。

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「TSU・SHI・MI」がオープンし、ある常連様が「父が育てたんです。」と
お祝いに美しい楡ケヤキ(にれけやき)を頂いた。足元には立派な苔が所狭しと
生い茂っている。どのようにしてこれを作るのか?と探究するのはあと15年くらい後に
しようと心に決め、それでも非常に興味深い、いわゆる「盆栽」。美しい造形美。
じ~と見つめていると、何やら力強いパワーと存在感を放つ。
造形としても、枝ぶりというのか、非常に優美であることは、このど素人の俺にもわかる。

大事に自宅に持ち帰り、直陽にも当てぬようにし、水をやりしばらく静観していると、見る見るうちに
葉は黄色くなり抜け落ち、苔も幾分痩せたかのように思えるほど「老け」込んだ。

贈ってくれた本人にもこんな状況は報告も出来ず、我が家の環境があわなかったか?
はたまた悪い「気」がこの部屋には蔓延しているのか? さらには、何か悪いことの予兆であるか?
などとしばらく、ほぼあきらめた状態でいた。

そうすると・・・。「じゃんじゃじゃ~~~~ん」

新しい芽が枝から出てくているのである。

推測するに、この楡ケヤキは、育ての親である主のもとを離れ、環境の変化や、寂しさ、
絶望感で、我が家に着くと、もう生きる意欲も喪失し、それこそ水分を吸い上げる力も失い
死にかけていた。 その時にこの楡ケヤキは「いや、このまま死んでなるものか!、俺は
あきらめない、ここの環境に耐え立派に生き抜いて見せる。俺は変わるんだ。そしてまた過去の雄姿を
人間に見せてやるんだ」
と、また命をみずから吹き込んだのではないか?(考えすぎ?)まるで人間の世界と同じである。
いやいや、それともただの季節的なサイクルだったのか??


とにかく、我が家の楡ケヤキは生死をさまよった挙句、見事に生還したわけだ。
よかった。

盆栽は日本固有の「美」と認識するが、初めて「盆栽」に触れ、(見ていただけだが・・・。)
生きているという尊さを感じた。
これも日本の美意識の一つである「詫び・寂び」の世界であろうし、こうやって考えると、
「盆栽」一つからでも人間は学ぶことは出来る。些細な出来事でも人は感動できる豊かな心を
忘れることのないように気をつけなくてはならない。よな。
by seijitsushimi | 2010-12-28 13:09

船田君が現れた・・・。

今日の夕方、その出来事は起こった。
下北沢の大山さん(茶師最高位10段をもつ俺の茶の師匠)のところへ店で使う御抹茶を頂きに行き、店に帰った時の出来事である。
背後に亡霊のような人影が仁王立ちしていることに気がつくと、聞き覚えのある声で「おはようございます。」と
俺は驚きで言葉を失いとっさに「お前今朝居留守使ったでしょ?」と聞くと「はい」と正直に答える船田君。
相変わらずまじめな男だ。そして皆に話があると・・・。
我々は席に着くと彼は、床にひざまずき「申し訳ありませんでした」と。
それからもうこれ以上皆に迷惑はかけられないと退職の意を表し、さらに一人一人にこれまでの感謝の「意」と謝罪を述べた。(内容は割愛するが・・・。)

彼なりにこの方法は、充分考えた上での行動だろうが、先輩鈴木からも厳しい言葉が投げかけられたのを聞くと
彼らには彼らなりの人間関係があるんだとある意味関心もした。
最後に「ここでは多くのことを学ぶことができました。本当にありがとうございました。」といい
今回の船田君が消えた事件は一応解決?したことになる。
受け取りを拒んでいた給与も本人に手渡しし、さすがに俺も悪かった後味も何とかおさまりそうである。

彼と出会って、今日まで。いろんなことがあったが、少なくとも彼には苦しめられたし、教えられたこともある。
彼の口から「シェフには息子のように可愛がっていただいた」との言葉には強気のスタンスの俺もちとグッときたが(出来の悪い子ほどかわいいという。)出来が悪いには違いなく、これからも人には迷惑をかけないで是非頑張ってもらいたい。

今度のことは俺にとっても船田君にとってもまさに「人生はドラマ」であり、だから生きてて楽しいのである。

最後にサービスの女子 石田にかけた言葉の冒頭に「じつは、石田はひと目見たときに惚れたんじゃ」と
突拍子もないことをいう船田はやはりタダものではない・・・。

今後の彼の人生に幸は来るのか!!??
by seijitsushimi | 2010-12-27 22:45

船田君が消えた・・・。 2

ポストに事務所のカギと店のカギ、小口で渡していた1万円札と仲間が貸していたらしいフランスのミシュランガイド2010年版。

昨夜、船田君は仲間から送られてきたメールの通り、鍵を返しに来たらしい。以前自殺をほのめかしていたこともあり、
とりあえずここ数日の音信不通であった彼の生存が明らかになった。(最初から自殺できるようなやつではないのはわかっていたが・・・。)

このまま姿も見せず声も聞かせず、我々から消えていくつもりだろう。

昔、シリーズ化され、かなり流行っていた青春学園ドラマで「3年B組金八先生」というのがある意味社会現象を起こしていたことがある。

この場合俺が金八先生の武田鉄也役になるのだろうが、皆で船田君のアパートへ行こう!ということになり、
いわゆるスタッフ(ドラマでは生徒)引き連れて行ってきた。・・・・・。

同僚のホールの石田が玄関をノックしながら何度も、「船田さん!」「船田さん!」「包丁を持ってきました。」
もう一人のっスタッフ鈴木も後ろでヘルメットをかぶったまま心配そうに静観している。他のスタッフたちも陰ながら心配している。
俺は船田との最後になるであろう接触に当然期待していたし、彼らの気持ちを思うと、船田も顔を出さずにはいられまい・・・。


とうとう出てこなかった。・・・。 部屋にいることは分かっている。
もう誰も彼を怒っていない。が、自分でやってしまったことに辱めを感じ、とても顔を出すわけにはいかないのであろう。
それともやっぱりまだ寝ているのか??。


30分ほどで終わった「金八先生物語だが」やはり結果はドラマのようにはいかないのである。
彼は出てこなかったし、包丁と彼の私物を玄関のドアノブにかけて肩を落とすスタッフたちと
店に戻ってきたのである。
俺は彼に給与の振込先を再度知らせるようにと、あと「頑張れよ!」の一言をSMSで送り
彼とは実質的に終わった。

彼の精神的弱さには落胆するしかないが、反面、彼のたぐいまれな人柄や人間性を知っているだけに
本当に心残りで後味の悪さはぬぐえない。

最後に「愛媛の農家を訪ねる時には電話しろ」と書いたが、はたして彼は連絡してくる勇気を振り絞れるであろうか?
彼の自力で立ち上がるのを期待する他はない。
by seijitsushimi | 2010-12-27 14:40

船田君が消えた・・・。

何度もこれまで当ブログに登場してきた船田君。
我が大切なスタッフの一人だが、クリスマスイヴの朝、いつものように遅刻、そしてクリスマスの朝に消えた。
以来出勤していない。これまで十数回以上になるか、いやもっとか?とにかく遅刻壁がある子で
、再三彼ともその対策を話し合ってきた。目覚まし時計を100個セットしようとか(現実には4個かけていたようだが)、
誰かに一緒に暮らしてもらおうか、とか、(誰もいなかった)実際に遠い広島の家族に毎朝電話で起こして
もらったりとかしていたのだが、とにかく朝が起きれない。 
一度起きてもまた寝てしまうという”無意識性2度寝起きない症候群”である。
対策方法が明確に見つからぬまま、とりあえず職業を変えるというアドバイスをし、愛媛県の今治市で農業を
営んでおられる方にお願いし、(とりあえず会っていただけると快諾頂いた。)
野菜作りの修業に入る、と年明けに一緒にご挨拶と話を聞きに行く事になっていた矢先の出来事である。
おそらく彼は、「いつもの遅刻という失敗をしてしまい、現場のスタッフの気持ちを考えると出社できなくなり
そのままもう登校拒否ならぬ出社拒否状態に陥ったのだろうが・・・。
彼は店のカギと事務所のカギを持ったままいなくなっていることから、問題は割と重大で、
やはり家族に相談せねばなるまい。

遠い広島は蒲刈島という島に暮らす彼の父親に電話を入れ、状況を説明。
「もうクビにしてやってください。」と、「広島に連れて帰ります」とも話された。
これまでの経緯もあり、まともな父親であれば当然の言葉ではあるが、心が痛い。

実は俺も高校受験を控える一児の父親であり、当然船田君がもし自身の息子であればどうであろう?
どういう対処が出来るだろう?現時点の問題もよリも、これからの彼の長い人生を考えると、事は重大である。
彼は人間はすこぶるいいやつで、基本まじめで、人に対しても心配りができる人間である。
俺が事務所の玄関に靴を脱ぎっぱなしにしていると、出るときにはちゃんと履きやすいようにそろえてくれるのは
彼だけである。先日のブログでも紹介したが長野の契約農家の池田氏のもとにアポなしで1人で
畑を見に行くパッションもある。
本来仲間からも人望厚き男でいられるはずが、遅刻壁であることと、弱さがために仲間も悪い意味で
一目を置かざるを得ない。
連中に彼の話をすると、皆一様に口を閉ざす。

続く・・・。
by seijitsushimi | 2010-12-27 14:11

佐野有美さんの報道を見て・・・。

もう知ってる方は多いと思うが、恥ずかしながら俺は今朝の番組を目にするまで知らなかった。
生まれつき手足のない、先天性四肢欠損症の佐野有美さん(20)
ある意味「こんなかわいそうな子が世の中にはいるんだ・・・。」と心でつぶやきながら
見ていた。が、途中から「こんなすごい子が世の中にはいるんだ・・・。」に変わっていったね。

俺ら五体満足人間はそういう障害を持つ人の気持ちなんてわかるはずないわけ。絶対に。
実際に手足を切断してみないとわからんと思うわ。だったらその現実をよう理解し、余計なことせんかったらええのに、
アホなやつらは彼女を見てすれ違いざまに「あら、可哀そう~。」などというそうな。うそじゃろ。
俺にしたらそういう言葉が弾みでも出るような人間のほうがよっぽど可哀そうだと思うね。

彼女のハンディは当然彼女だけではない。
実際に生み育てる母親、父親の苦悩もこれも想像を超える逃れられない苦しみである。
当然娘から「なんで自分を生んだのか?」と責められるシーンも想像すると胸が苦しい。

番組では、母が病院から飛び降りようとした話や、父親が自らの手でわが娘の将来を案じ、口をふさいで殺してしまおうと
した過去の苦しい時代の話も紹介していた。

当時の彼女は知り得ないが、現在、立派に社会の一員として自立し、それも持ち前の笑顔と明るさは
周りの人間を勇気づけ元気にしている。俺の一番すごいと思うのはそこである。
”自分にないものを悲観するのではなく有るものは何か?”とする発想で、持ち前の元気な声を生かして何かをやりたい・・・。
今では地方のラジオ局でナレーションの仕事もこなしているそうだがわれわれ大人から見てももう脱帽ではないか?

彼女は自叙伝も出版しているらしく近著に「あきらめない」というタイトルの著書もあるらしい。
平凡な聞きなれたフレーズであるが、彼女の言葉はずっしりと重い。
ネットでも彼女のことは多くの人たちがブログ等で述べている。
彼女に生きる勇気やエネルギーをもらっている五体満足人間がいっぱいいる。
つづく・・・。
by seijitsushimi | 2010-12-25 02:19

いつも通りのクリスマス・・・。

「TSU・SHI・MI」に変わる前までは、クリスマスというと、基本、テーブルは2回転、特別メニューでちょいと高級食材(客が喜びそうなという意味も含む)
を使い価格も自動的にUP。テーブルにキャンドルを配し、お決まりのリースを玄関に飾り、
下手をすると電飾ツリーを引っ張り出してチカチカと・・・。
一年の計はクリスマスにあり・・・。」みたいな。ここぞとばかり客から金を取り、年明けの売り上げが落ちる時期分の補てんに回す・・・。
普段ではありえない客単価と集客が見込めるもんで、シェフもスタッフも血眼になって徹夜で仕込みをする。
というある種慣例みたいなものが(本職がいうんやから間違いない。)レストランにはあり、いわば掻きいれ時である。
しかし今年からは大きく変わった。まあ、クリスマスのお祭り騒ぎに意味を感じなくなったというか、売り上げにも執着しなくなったし、それに俺は毎日がスペシャルだし・・。いつも通りのいつもの営業でいいのではないか?多分そういう店も増えていると思うが。
客もだんだんこれ見よがしの”毎年お決まりクリスマス プライスアップメニュー”には意味を感じなくなってくるんじゃないか?
実際スーパーやコンビニの入り口には”おうちでクリスマス”などとレストランからたたかれそうなポスター貼ってるし、
レストランでの外食もそれぞれの客の気の持ちようで、充分クリスマスは楽しめるんじゃないか?

だいたい、この時期になるといわゆる街のデパートは商戦に入り、街中クリスマスムードになる。というか意図してやってるわけで、一般庶民はその気にさせられて気持ちも高揚し、「クリスマスにはふだんより美味しい物食って、プレゼントを買いましょう・・・。」となり、需要と供給のバランスは見事に成果を遂げ、25日過ぎると、ぱたっと「はい次!」と次の年末年始商戦にはいるわけ。
その慣習はいいか悪いか、49年見てるといい加減に「うちら食わされて買わされてないか?」と感じない?

おまけに俺はキリスト教信者ではないし、どちらかというと仏教で、盆に墓参りに行くならわしは、いまだに信仰しているくらいで・・・。
また、バレンタインのチョコレート合戦は完璧に菓子屋のクリスマスみたいなもんで、まさに掻きいれ時なわけでしょ。 そこには当然、なんでバレンタインにチョコレートをなどという理由もなく、バレンタイン哲学みたいなもんもまるでなく、承知の通りチョコメーカーの陰謀でしかないわけでしょ。それでもひたすらチョコ売り場に並ぶおばちゃん、ねぇちゃん見てると、ため息が出るのは俺だけか?うんざりする。

日本人の悪い癖だが自分の意志よりも、流行ってるからとか、慣例だからとか、いつもやってるからとか
いわゆる「右向け右」スピリッツがどうも情けない。多くが右向くとほとんどが右を向いてしまう。
右向かないと悪いみたいに、おかしい人みたいに思われるのではないか・・・。などとね。

イヴの予約の客人の中に、電話でいつも通りと説明をしたところ、「そのほうがいいじゃない」とおっしゃった方がいる。
この方と是非「最近の日本人の意味のない慣習とイベント」について語ってみたい。

とはいっても、今夜はキャンドルの一つでも灯してみるかぁ~。!(笑)
by seijitsushimi | 2010-12-25 01:46

現代の美術評論・・・。 世紀の画家もただの「おっさん」だった・・・?

現代美術の評論ではなく、昨今の美術評論についてである。
俺は毎週日曜の朝の国営放送でやっている「日曜美術館」は欠かさず見るようにしている。
むしろすごい楽しみいしている。
欧米の古美術から日本の現代のものまで、毎週あらゆる画家や作家の作品を評論家や、
学者をスタジオに呼び、現地の研究者や保護団体などの解説付きの、ストーリータッチで紹介する、俺にはすこぶる刺激的であり、多くを学べる俺にとっての視聴率90%の番組である。

だが、本質しか見ないし、やたら物事を斜めに見る俺はどうもその解説、評論たるや、現生人が死後の作者の作品を勝手にストーリをでっち上げ(悪い言い方をすると・・・。)本人の意図しないことも、最高に美着色し
細かいディテールに至るまで、物語を作り上げているのではないか?

よくある話が、現地の、たとえば巨匠の歴史や作品について研究しているNPO団体が或る作品を取りあげ、
その作品の描かれた時代や、作者の生活環境、はたまたその時代に恋愛していた相手の素性やパーソナリティーまで
調べ上げ、その作品が描かれた目的や、色使い=作家の心情!?。暗い色調たらば、「気持ちが沈んでいた」、とか
「病におかされていた」となり、明るい筆使いであれば、「彼は非常に満たされていた」とやたら心の描写に例えたがる。
はたして作品を生み出すってそんなもんか?
俺も絵は好きで描くし、いろんな美術?も作ることはあるが、じゃあ、暗い色を使った絵を描くときは俺は鬱に入りかけているのか?
パステルで超ラブリーな色彩を使えば俺はその時はアホなのか??幼稚園児が思うままに描いているそれとは違うんじゃないか?

もちろん過去の偉人達と俺は100階も1000階もステージが違うが、とうに亡くなっている人でも、当時は生きて生活していたわけだし、
大いびきもかいていたろうし、部屋のごみも捨てていたはず。(たとえが悪いが・・・。)
隣のアパートにもし俺が住んでいたらば、その偉人は当時の俺にとってはただの隣に住むおっさんでしかないはず。ん~、同じマンションに住んでいるミュージシャンとは顔を合わせば挨拶もするし、フツーの人だけど、ステージに立つ彼を見たらそれはまるで別人だったみたいな・・・。
そんなに違わんでしょ。考え方によっちゃぁ。
ゴッホだろうが、ピカソだろうが、決して宇宙人じゃないし、仮に隣に住んでりゃ隣のおっさんだと思うのよ。
それが長い年月を経てもう亡くなっていることと、もちろん残した偉大なる作品たちに、我々にとっては天才であり、教祖であり雲の上のひと、もう奇跡の人なんだね。
もし生きてりゃ、たぶん作品にまつわるエピソードもだいぶ本人と見解が違うんじゃないか?
俺にはそっちの方が興味がわいてくる。

先日はフランスの印象派画家で踊り子を描く画家ととして知られるエドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834 - 1917年)の紹介の中で
彼が残した「踊り子」を題材とした彫刻作品で当時は世間から酷評を受けてから、人の目に触れる事はなかったそうな。
現在フランスにあるドガの研究チームがそのミステリアスな作品を調べ上げていた。どういう経緯でこれが作られたのか?
なぜ彫刻にドガは実際の衣服を着せたのか?なぜ頭部に本当の髪の毛を張り付けたのか?
驚くことに、頭部のエックス写真まで撮って、調べ上げている。
研究としては確かに面白いかもしれないが、ドガは、おそらく天の上からあまりにも滑稽なまなざしで静観しているのではないか?
そのモデルが誰で、なぜ衣服を身につけていて、髪の毛はなぜ?って。
「何やってんの・・・。全然違うよ~っ。」ってね。

俺の想像の域を超えないが、ドガが既存の作品や流行りの風潮に逆らった、ちょっと変わった、何か新しい作品を創ってみたかったんじゃないか?きっと。
モデルはたまたま身近にいた当時の踊り子で、髪の毛はもしかしたら自分の抜け毛かもしれない・・・。(笑)
衣服は?おたく?? そういう見方は俺流で面白いんだけど。
なんでそう思うかって?
だって当時ドガの部屋の隣に住んでいたらドガはただの「隣のおっさん」だもの。
でしょっ!(笑)

さて来週の「日曜美術館」は一体誰だろう・・・。

以上
by seijitsushimi | 2010-12-22 01:06

滝川クリステルのイメージ・・・。?

毎晩自宅に戻り俺はどんなに遅くなろうが、欠かさず録画しておいたニュース番組を見る習慣がある。
じゃないと、その時間帯にやってる番組って、見るとアホになりそうなものしかやってないのよ。
特に、よくある「食い物」をまるでおもちゃのように取り上げて笑いを取るアホタレントどもの番組は、日本人の
一番低俗な部分を露呈しているとひしひしと感じる。
ちょっと脱線しかけたが・・・(笑)
昨晩も日曜日という事もあり、平日ものとはちと違い、ちょっとバラエティー入ってる報道番組
の中で関西系MCがぽろっと言った一言に俺は耳を疑った。
スポーツ、それも女子フィギュアスケートの話題をやっていた。残念ながらここん所の浅田真央の不調は
皆周知しているだろうが、反面、ジュニア時代からの後輩でもある村上佳菜子の
活躍は目を見張るものがある。キャラも笑顔も抜群で、スター性をちゃんと兼ね備えている。年齢も若い。
彼女を見ていると、俺個人的にも、小学生時代の初恋を思い出させるようなせつない愛くるしさがを感じさせるところがある。
だが、・・・・・。この番組の関西系MCは事もあろうにVTRで浅田の不調を伝え、村上の活躍を映した後、
ぽろっと言った言葉。「真央ちゃんはこの際しばらくゆっくり休んでもらって、その代わりに加奈ちゃんには是非頑張って貰いたいですよね。」発言をした。
耳を疑い再見したほど驚いた。
確かに、浅田は結果を見れば自信を喪失するのは当然で、インタビューでもその気持ちは表情からもうかがえた。
それとは対照的に、名実ともに人気ウナギ登り中の村上は、尊敬していた先輩を追い抜いていく喜びもあろう、自信に満ち溢れているのも当然の結果である。
この全くデリカシーのない関西系MCの、デリカシーのない言葉に俺は真央ちゃんの気持ちを考えると、まだ若い女の子だけに、大人の(おっさんの)この言葉はどうなのだろう。
プロスポーツの世界は厳しいのは当然だし、どのプロの世界も同じでしょ。どういうつもりのこの発言かは解らんが、少なくとも浅田にしてみれば
余計なお世話だし「お前に言われたくねぇよ、おっさん。」という気持ちでいっぱいであろうが・・・。
まさにマスコミの最悪で、度を超えた体質である、いい時はしつこいくらいに過大評価し、更に最大限に持ち上げて、ヨイショして・・・。、賞味期限切れたら(浅田の事ではない)
「はい、さようなら」体質には辟易してくる。

この番組を見て、以前はフレンチハーフの滝川クリステルの知性と品の良さは、『ニュースJAPAN』時代から好感を寄せていたが、
このMCと番組進行している姿を見ていると少しずつイメージがダウンしてくるのが残念でならない。
by seijitsushimi | 2010-12-21 10:51

離れる客と追う客・・・。

今回の俺の「TSU・SHI・Mi」への改造は自身の料理人としての大変革であり、まさにセカンドステージ、
第二の人生そのものでもある。凶とでるか吉と出るかは48男のポテンシャルの
高い低いにかかわるのであろうが、とにかく俺は最後には絶対に勝つ男なんで経過はその手段でしかないわけ。で、ミラヴィルの残像は一切断ち切ることで新たなる一からのチャレンジになるわけで、碌に常連様たちにもご案内をせずに、TEL番号も変え、URLのジャンピングなど、姑息な手段も取らず多少の勘違い
も、ものともせずに、静かにスタートを切った。最大限にリスクを取る、もう殆ど自殺行為だろ。この時代に値段も敷居もあげちゃうんだから。
それは本質をわきまえ長くやりたいと思ったから・・・・。 パブリッシュも最低限にすることで
マスコミどもへの反逆心もあり、取材も何も、これからはマイペースで、とにかく自身の仕事と店を守る。
"極"信念にもとづき、来店する客を喜ばせることを最高のコンセプトにする事に徹する。
張ったりじゃないのよ。ほんまに。
でね、当然、離れる客が大勢いるわけよ。当たり前じゃん。ミラヴィルに電話したら「現在使われていない」
アナウンスだし、移転の案内もせずに、HP見たら何時の間にインパクトのHPに変わっている。殆どの客は、
「あ、ミラヴィルはつぶれたんだ」と思うのよ。で、ネットであれやこれや探したら、
「お、リニューアルしてんじゃん」「オープンしてんじゃん」と、なり値段を見たら昼やめて実質の値上げで
、わけのわからんコンセプト打ち出してるし・・・。雰囲気もいまどき高級店みたい、と。
で、当然のように常連客達が去ったね。
反面、それでも何とか探し当てたかのごとく予約を入れ、来店してくれる客がいるのよ。
今日もそんなご夫婦がいた。やっぱり俺は嬉しくてしょうが無いわけ。
だって以前にも碌なもてなしが出来てたわけがなく、それでも足繁く通って頂き、更に今回、
ちゃんと探し当て再訪して頂いた。それもご自身の気持ちで・・。
今日だけではないが、結構そういうお客さんがいる事に、ちと、またうぬぼれる俺がいるわけだが・・・。
涙がちょちょ切れる想いがする(最近あまりつかわないなぁ ちょちょ切れるって。笑)
当然誠心誠意の気持ちでおもてなしをする。

店には仮に何かが変わると「離れる客」も、「追う客」もいる。どちらも現実であり・・・。
ただ俺は料理人でこの人生を終われるのであれば、後者の客にこそ人生をかけた料理を
たべていただいきたいと思うのもこれまた現実ではないかと思った今日のランチタイムであった。

決してエコひいきではなく、単純に俺はこのような「客」と「店」の関係でありたいと思う
俺の独断と偏見であり、それが俺のストーリーなのよ。?
だってそういう客が必ず「TSU・SHI・Mi」を育ててくれるからね。
誰でもそういう店が一件くらいあれば楽しくないかい??
by seijitsushimi | 2010-12-20 00:46