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古典落語の限界

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今回の演目の中で、もっとも印象的だった。ギタレレ漫談で自虐ネタを披露する芸人 ”ぴろき”

ここ数年の間に、日本の演芸、特に落語を見に行くことが多くなった。
場所は新宿にある「末広亭」。老朽化のために取り壊しが決まっていると聞いたことも
あり、今のうちに身近な日本の演芸に触れておこうという思いもある。

その世界の知識や常識、難しいウンチクは重要ではなく、一庶民としてのお笑いファンである。
何度か足を運んでいるうちに、今ではすっかり私の趣味の一つになってしまっている。

先日も休みを利用して、我が銀座の店に仕事で出かけ、
新宿によって、それこそふら~っと落語を楽しむことにした。

幾度か聴いているうちに、落語には有名な「噺」がいくつもあり、どこかですでに聞いたことのある話を耳にすることが或る。そういう時はさすがに眠気がすさまじく襲ってきて、座席の上で
軽いエコノミークラス症候群になりながら、寝返りを右へ左へと打ちながら眠る。

話が終わり、観客の拍手で、目が覚め、さらに次の噺家(はなしか)がよぼよぼのおじいちゃんで、
さわりからおもしろくなさそうだと、また眠りに入るという具合だ。

反対に話が面白いとか、噺家自身に面白みがあれば完全に聞き入ってしまう。
そうなると、「落語」がますます好きになってくる。


昼の12時から始まり、4時でとりあえず昼の部が終了。
入れ替えがなく、そのまま見たければ夜の部の最後の演目までずーっと見ることが出来るのも
さすがに庶民の娯楽「落語」を見る楽しさの一つでもある。

昼の部が終わり、休憩をはさんで、夜の部が始まる前に、いわゆる「前座」が一席を演じる。
ほとんど、見るからに新米で、まだまだ修行の身といった、固く、落ち着きがなく
、聞いていてひやひやするような若者が、経験と練習の意味で、客の前で演じる。

「ジュゲム ジュゲム・・・」から始まるいわゆる古典落語の代表的な前座噺、暗記、間のとり方の練習のための
「噺」である。

ここから本題に入る。
古典落語の歴史も知らなきゃ、噺家系何ぞ おそらく顔も名前も一致する落語家は片手くらいしか
知らない俺が 意見を述べるなどと大それたことは考えないが、
自分個人の意見としては、落語も「世代」、いや、「時代」の交替を迫られるのではないか?

客として、前座にたつ若者にピュアに求めることは、若さなり、彼の今の時代なりの「芸」「噺」だ。

暗記して喋りまくる古い時代の落語や漫才には、「お笑い」の限界が或るだろう。

お笑いブームや、お笑いタレントが氾濫して大洪水状態の今、たいていの話や芸では客は笑わない。

客が「笑うこと」に貪欲になり、その結果、仕方なく面白くもない「芸無し芸人」があふれかえっている。

だからこれからは、会えて記憶しない、「間」のとりは自然に任せ、噺家本人が考えることをアドリブでそのまま
噺せばいい。

もちろんそれでも笑ってもらえない噺家はたくさんいるだろう。
それは向いていないということで、その道をあきらめるしかないし、当然諦めねばならない。

二十歳そこそこの入門したての若者が、「ジュゲム ジュゲム・・・」とやるよりも、
自分なりの言葉で、実際に自分におこったことや、体験したことなどをもとに
面白可笑しく話せられれば面白いにきまっている。

ようは、記憶力や間の取り方を訓練するよりも「感性」を磨いていくのだ。

すべてにおいて「基本」は大事だ。
だが、残念に思うのは、我々料理の世界も同じだと思うが、昨今の現象を見ていると、
基本がなくてもそれはそれなりに、独立開店してうまくやっていける時代なのだ。
そこに感性が研ぎすんでいるとも思わないが、とりあえずそういう子たちが
時代をリードしつつあることも事実だ。

落語もしかり、アホキャラやオカマがお茶の間を支配しつつある現代の芸人の「芸風」
において、「ジュゲム ジュゲム・・・」を記憶する若い芸人者たちは、
いずれ王道である落語を演じる場所さえ、時代によって消されてしまうのではないかと
心配してしまう。

実際に、いつも末広亭に足を運ぶ人たちの多くは、昭和か、それ以前に生まれた世代ばかり
、「落語ブーム」とはいえ、若い客は数えるほどしかいないし、増えているようにも思えない。
全体客量も決して多いとはいえない。
それが証拠にしばしば落語の中に客入りの少ないことをネタに笑いを取る芸人もいるくらいだ。


定年のない芸人、とりわけ「落語」の世界で、師匠と呼ばれる方々がご高齢である
という理由もあり、いつ、どのタイミングで落語の世界が変わっていく事は想像しがたいが、
そのうち、「志しても飯が食えない」という理由で、入門する若者がいなくなることで
落語自体が消えていくのではないか?

末広亭のようなあの小じんまりした風情と歴史を感じることの出来る劇場
は消えてなくなり、大きな鉄骨作りのドームのようなホールで粋な小噺を聞く時代が来るのであろうか?
ジュゲム ジュゲム・・・」を練習している新米噺家が時代に取り残されなければいいのだが。
余計な心配をしながら末広亭の玄関をあとにするころ、外はもうどっぷり日が暮れていた。


毎度、昭和から、平成に再タイムスリップしたような気持になるが、
今回、色々と考えさせられるこの時代のギャップも、いわば落語の現代風の楽しみなのかもしれない。もしかすると・・・。
by seijitsushimi | 2011-05-30 17:20

あるワイナリーとの会話の中で。

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向かって左がシャブリの作り手マルセル セルヴァン氏。右がアルザスのジャンクロードリーフレ氏


先日、あるワインのインポーターさん主催の試飲会が中目黒で行われた。
職場から近いという事もあって、仕事の合間を見てスタッフ連れて出かけてきた。

今回のワイン会は、フランスはシャブリと、アルザスからわざわざ作り手本人を招き、行われた
とても贅沢な催し。 シャブリからはマルセル セルヴァン そしてアルザスからは ジャンクロード リーフレ氏。

共に地域の特性を生かした素晴らしいワインを造りだす作り手である。リーフレ氏においては2度目の再開で5~6年前にお店に足を運んで頂いた事がある。

一通り試飲をすませ、用意されていたオードブルをつまみながら、店のソファーに座っていると、
当のお二人がそばに同様に腰かけて話をしていたので、すかさず話しかけてみた。

お二人はどうやらボーヌの醸造学校の同級生らしく、元々仲良しだったらしい。
それが偶然にも今回主催したインポーターさんとのご縁で、再開となり、お二人で揃って来日された
という事らしい。

15分ほど話を聞く事が出来たが、そのほとんどが、やはり今回の東北での震災と福島の原発の事について
だった。確かに、海外の人が、日本へ来て気にならないわけはない。それよりも彼らは、よくこの時期に来日を決意したなという驚きもあった。

数日前にもF,コサールの試飲会に足を運んだが、本人は来てなかったのが福島の事故が原因かどうかは
定かではないが、いずれにせよそういう認識や風潮は、まだあるだろう。

彼らの今回の日本で起きたことへの想いや、認識を直接彼らの言葉と感覚で聞く事が出来たのは
とても幸運である。

どんなに素晴らしいワインの作り手であっても、地元では、地方に暮らす一農業人に変わりはない。
いつもながら、自分は、その人の仕事を語る前にその人の「人間」に非常に興味を持つ。

だから、彼らとの会話、彼ら同士の会話の中で、ワイナリーとしてではなく、一人の人間性というものを
大きく垣間見れた事は非常に嬉しいし満足である。

なんと3人は共に同じ62年生まれの同じ年。(自分からはどうしても2人がオジさんに見えて仕方がない)
自分もアルザス、シャブリとも、仏滞在中に訪れた事があり、とても盛り上がった15分だった。

最後にリーフレ氏が、携帯の写メでとった、地元の割と大きな公園の写真を見せてくれた。
木には桜の様な花がたくさん咲いており、その向こうに3本の国旗を立てるポールが立っている。
今回の日本の震災を受けて中央にもっとも高く日本の日の丸、そして両脇にEU、フランスの国旗と
あげられている写真を見せてくれた。我々日本にとってはとてもうれしい気持ちと行為であるし、フランス人たちの温かい気持ちがひしひしと伝わってくる写真である。

しかし、それを目にして自分が感じる事は、「もし、立場が逆だったら?」。
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リーフレ氏が写メを見せてくれた。

例えばフランスはブルターニュあたりの海岸で多くの死者を出す大津波があったとしても、日本の地方の公園でフランスの国旗を一番に掲げる事はするであろうか?

「日本をこよなく愛するアンチ日本人」の自分は、彼が見せてくれた携帯の写真一枚からも、
なかなか感情表現のへたくそな人種だとはいえ、日本人のまだまだメンタリティーなな部分ですら国際社会の一員としてのレベルに達していない事を感じざるを得ない一瞬だったし、店に戻り、その事についてスタッフとも語ったのも実際の話である。

次回の訪仏の際はシャブリ、アルザスのお二人を訪ね、自宅に泊めてもらう約束をし、
記念の写真を撮り、握手を交わし、「やれやれ、少しは仕事をしようか」と試飲会場に戻っていく
同い年2人を見送り、「じゃあまた次回」と自分も会場を後にした。

今回の試飲会 セルヴァン氏のプライベートキュヴェである「キュヴェ マッサル」、リーフレ氏の「アルザス ピノノアール」のヴィエイユヴィーニュが意外にも美味しかったのが、今回の試飲会の更なる収穫であった。
by seijitsushimi | 2011-05-24 11:52

いざ那須塩原のミスターメドックのもとへ・・・。

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入口の看板の両脇にそびえる杉の木が歴史を感じさせる。

今度は栃木県の那須塩原共墾社にある、あの”那須ワイン”の
渡邊葡萄酒醸造の渡邊嘉也(わたなべよしなり)氏に会いに行ってきた。
「農作物(葡萄やワインも含む)の善し悪しは作り手の善し悪しに準ずる」を
信じてやまない俺は、どうしても彼に会ってくる必要性を感じていたからだ。
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渡邊嘉也氏 何となくフランス人に似た落ち着きとおおらかさを感じる。

ご存じの方も多いと思うが、彼は26歳の時に渡仏し、
ボルドー大学へ入学、在学中にいくつかのシャトーで経験を重ねた後、
1997年にボルドーはポイヤックの銘醸、シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドに入社し、
醸造スタッフとして技術部門の責任者たるトーマ・ド・シ・ナム氏に師事した経歴の持ち主。
その後もポムロルのペトリュス、ル・パンと並び称されるサンテミリオンのシンデレラワイン、
シャトー・ヴァランドローの醸造スタッフや、ピション・ラランドが運営するシャトー・ベルナドットの
立ち上げ等、数々の銘醸で経験を積んだ華やかな経歴を持っている。
だが、8年目にして敬愛する父上の逝去を期に帰国した。
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「ここはメドック?」と想わせてしまうほど美しく並べられたメルロの畑

ボルドー代表品種であるメルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フランを
すべて自社畑で自ら栽培し、数々の銘醸で培ってきた技術やリズムを生かしながらワインを醸造
する実力派だ。

まず、「余り自分から多くをしゃべらない無口な人」と前評判を聞いていたので、
色々と対応(作戦)を俺なりに考えていたが、初対面、むむっ、なるほどという雰囲気はあったものの、
なんてことはない、職人同士、意気投合するまでにはまったく時間は必要ではなかった。

おまけにある一定の時間しゃべり続ける、とすでに昔からの友人のようにさえも思えるとてもフレンドリーで
親しみしたしみやすい人だ。おまけに、ふしぶしに優しさがバシバシ伝ってくる。
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清掃の行き届いた醸造タンク。


特に盛り上がる話は、やはりお互いに職種は違えどフランスでの生活経験があるということ。
ボルドーは、自分もフランス時代に一人で2度ほど足を運んだことが或る。
ブルゴーニュやロワール地方とは違い仕事での滞在経験がないし、何せパリから遠いことも会って
なんとなく落ち着かなかったのを記憶している。年代的に、その頃はすでに彼はボルドーにて
醸造の勉強をしていたことになる。そう考えると実に不思議な気になる。
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日本でのワイン作りの難しさについて熱心に語ってくれた。

苦労話はもちろん、90年代に起こったボルドーワインの不作や不況だった話、残念ながら父上の死によって8年間のボルドーでの醸造家としてのキャリアにピリオドを打つ結果になった話など、色々と
話してくれた。

12代続く渡邊家は由緒ある家柄で神家の出らしい。ワインを作り始めて4代。
日本ではとても歴史のあるワイナリーである。

ワインの顔でもあるラベルからも守り続けられる伝統と歴史を感じてしまう。
繁忙期にはシルバー人材を利用して作業を進めるらしいが、それ以外はほとんど
渡邊氏一人で作業をこなしているという。一口に言うが相当に大変な労働である。
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昔ながらのレトロなデザインラベルを今もそのままに

東北地震や福島の原発事故の影響で決してこの地でワインを作るということが経済的にも
とても好調な時期であるとは想像できないが、そうでなくても日本でワインを作ることの
経済的な問題や、天候をはじめ自然の力に影響を受けやすい農作物、さらになっとくの行
くものが出来上がるまでの気の遠くなるような時間の問題。色々と話を聞いていくと、この職業(家業)としてのワイナリーの経営の本当の「意味での大変さ」を改めて思い知らされた。
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樽から特別にぶんに入れて出してくれた非売品のスペシャルキュヴェ。値をつけると3万円位になるという。


ほとんどの日本のワイン作りを目指す農家は多くの資本を注ぎこみ、天候や自然の抵抗と闘いながら
長い年月をかけ、いいブドウが成熟するまで待ち焦がれ、それらからいいワインが出来、
たくさんの日本人たちに愛飲され、それで彼らが本当に幸せになれる日は、はたしていつやってくるだろうか?

「苗を植え、成熟した葡萄が出来るには最低でも15年かかる。我々にはそれほど沢山の時間がないんです。」
と呟く渡邊さんを見て、もっともっと日本のワインを我々日本人が愛飲していかないと、
やっと始まりかけてきた日本ワインのプログレス(発展、向上)が、たち消えてしまうんじゃないかと
危惧してしまう。
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ワイナリーを出て車で15分ほど走った道の駅の地そば屋にて食事。 ここでもフランスでの話で盛り上がる。



彼はまだ独身。余計なことだが、早くいい人生のパートナーが現れ、彼のサポーターとなり
子孫を繁栄し、この歴史あるワイナリーをさらに熟成させ、渡邊さんがうれしそうに語っていた
「那須ワインが日本のメドックになる日」を是非是非実現させてほしいと切に思った。

8月に上京していただき渡邊氏のワイン会イベントを開催すること(8月23日予定)になったが、
是非、その時に、花嫁を募集することも即座に思いついた俺はやはりお節介なのか?
まあ、「わしはわしじゃけぇ、ええんじゃないか?」

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那須までの片道2時間半の往復約5時間、ず~~と車中で寝ていた銀座店のワイン担当、石元君。
日ごろの疲れからか、寝る子は育つんだね。(笑)こちらが行きの寝顔。

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こちらが帰りの寝顔。緊張感が無くなっている。


以上。
by seijitsushimi | 2011-05-17 10:43

フレンチを想えば・・・・。

なんかなぁ。俺も過去に東京でフレンチやってきたつもりだけど、昨今の東京フレンチって、
特にアホなジャーナリストどもがもてはやしているアッパーなフレンチって、やたら演出が過ぎている気がしてならない。
本当に美味いか?必要か?をよく考えた方がええよ。

その瞬間は、素晴らしい、斬新かもしれんけど、それを10年いや、3年続けたら、どうなるん?
せいぜい1年でネタが尽きて、1年半で客に飽きられて、2年で相手にされんくなるじゃろ。
食べる方ももう少し、勉強するべきじゃないか? 今回の震災でいろんな意味で、そしてジャンルで
、いろんな事がリセットされている気がする。当然、「食」も考え直す時が来てるんじゃないか?

 ある意味、飽和経済の結果として、もてはやされた日本人にとっての非日常的な贅沢食事としてのフレンチもスペインのとある料理人の出現をきっかけに化学調理を皆が継承し、実行し始め、どの料理人の作る皿も、どのメディアの騒ぎ立てる料理も、見た目の美しさと薄っぺらいカッコよさ、料理本を何度もおさらいしまくった結果、究極、極限に一片通りで、それを当事者たちも理解していながら、知らぬふりをし、単なるウケ狙いと、
売上至上主義のもとに、どんどんエスカレートし、終いには、使ってる食器まで同じものになっている。


おそらく今後、フレンチもこのままいけば、最終的にはストローでチューチュー吸いながら食べる宇宙食くらいまでイッテしまうだろうが(もう近い所まで行っている?)、一部の、優越感と自他差別観にしか価値を見出さない体験自慢公表至上主義人間にはウケるかもしれない。

「食事」とは、特に「外食」とは基本的に場と時間と同席する人間との関係を楽しむものであり、それでなくとも高い金を払って、食べた物をいちいち写真に収め、家に帰って、PCを立ち上げ、利益追求型の一部のグルメサイトの策略にまんまとはまり、一(いち)アホな料理評論家になったような気分で、普段使わない言葉で自己中心的な言葉を、それも読んでくれるであろう相手の顔をイヤラシく想像しながら、評価しまくる。


まさに政治も経済も、日本国(民)全体が、復帰、復興をしようとしている中、もう一度我々も「食」の扱い方を考えるべきではないか?飽食の時代である事には変わりはないだろうが、「食べる」と言う事に、スペクタクルだけではない、もっと熟成した日本独自の食文化をそろそろ築いて行くべきではないだろうか?

自分の中では今はフレンチの外にいる一人の料理人として今回、「想う」フレンチの現状を素直に述べてみた。

30年近くフレンチをひたすらやって来た都志見セイジが言う言葉だから、なおさら再塾考する価値はあると思うが。

最後に、このブログを読み直して、はっと気付いたが、何処かの無責任にも、店を酷評しまくるしか殆ど脳がないアホなブロガーどもの言葉に似ているか?とも反省したが、自分はまさに店側にいる人間であるから、客の立場ではない事は、全く趣旨の違うものであるので混同しないで頂きたいし、全くレベルの違う話である。

自画自賛するつもりはとうてい無いが、一人でも多くの”真”に「食」に取り組む人たちに
読んで頂き更には共感してもらえれば幸せである。

以上。
by seijitsushimi | 2011-05-09 00:06