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現代の美術評論・・・。 世紀の画家もただの「おっさん」だった・・・?

現代美術の評論ではなく、昨今の美術評論についてである。
俺は毎週日曜の朝の国営放送でやっている「日曜美術館」は欠かさず見るようにしている。
むしろすごい楽しみいしている。
欧米の古美術から日本の現代のものまで、毎週あらゆる画家や作家の作品を評論家や、
学者をスタジオに呼び、現地の研究者や保護団体などの解説付きの、ストーリータッチで紹介する、俺にはすこぶる刺激的であり、多くを学べる俺にとっての視聴率90%の番組である。

だが、本質しか見ないし、やたら物事を斜めに見る俺はどうもその解説、評論たるや、現生人が死後の作者の作品を勝手にストーリをでっち上げ(悪い言い方をすると・・・。)本人の意図しないことも、最高に美着色し
細かいディテールに至るまで、物語を作り上げているのではないか?

よくある話が、現地の、たとえば巨匠の歴史や作品について研究しているNPO団体が或る作品を取りあげ、
その作品の描かれた時代や、作者の生活環境、はたまたその時代に恋愛していた相手の素性やパーソナリティーまで
調べ上げ、その作品が描かれた目的や、色使い=作家の心情!?。暗い色調たらば、「気持ちが沈んでいた」、とか
「病におかされていた」となり、明るい筆使いであれば、「彼は非常に満たされていた」とやたら心の描写に例えたがる。
はたして作品を生み出すってそんなもんか?
俺も絵は好きで描くし、いろんな美術?も作ることはあるが、じゃあ、暗い色を使った絵を描くときは俺は鬱に入りかけているのか?
パステルで超ラブリーな色彩を使えば俺はその時はアホなのか??幼稚園児が思うままに描いているそれとは違うんじゃないか?

もちろん過去の偉人達と俺は100階も1000階もステージが違うが、とうに亡くなっている人でも、当時は生きて生活していたわけだし、
大いびきもかいていたろうし、部屋のごみも捨てていたはず。(たとえが悪いが・・・。)
隣のアパートにもし俺が住んでいたらば、その偉人は当時の俺にとってはただの隣に住むおっさんでしかないはず。ん~、同じマンションに住んでいるミュージシャンとは顔を合わせば挨拶もするし、フツーの人だけど、ステージに立つ彼を見たらそれはまるで別人だったみたいな・・・。
そんなに違わんでしょ。考え方によっちゃぁ。
ゴッホだろうが、ピカソだろうが、決して宇宙人じゃないし、仮に隣に住んでりゃ隣のおっさんだと思うのよ。
それが長い年月を経てもう亡くなっていることと、もちろん残した偉大なる作品たちに、我々にとっては天才であり、教祖であり雲の上のひと、もう奇跡の人なんだね。
もし生きてりゃ、たぶん作品にまつわるエピソードもだいぶ本人と見解が違うんじゃないか?
俺にはそっちの方が興味がわいてくる。

先日はフランスの印象派画家で踊り子を描く画家ととして知られるエドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834 - 1917年)の紹介の中で
彼が残した「踊り子」を題材とした彫刻作品で当時は世間から酷評を受けてから、人の目に触れる事はなかったそうな。
現在フランスにあるドガの研究チームがそのミステリアスな作品を調べ上げていた。どういう経緯でこれが作られたのか?
なぜ彫刻にドガは実際の衣服を着せたのか?なぜ頭部に本当の髪の毛を張り付けたのか?
驚くことに、頭部のエックス写真まで撮って、調べ上げている。
研究としては確かに面白いかもしれないが、ドガは、おそらく天の上からあまりにも滑稽なまなざしで静観しているのではないか?
そのモデルが誰で、なぜ衣服を身につけていて、髪の毛はなぜ?って。
「何やってんの・・・。全然違うよ~っ。」ってね。

俺の想像の域を超えないが、ドガが既存の作品や流行りの風潮に逆らった、ちょっと変わった、何か新しい作品を創ってみたかったんじゃないか?きっと。
モデルはたまたま身近にいた当時の踊り子で、髪の毛はもしかしたら自分の抜け毛かもしれない・・・。(笑)
衣服は?おたく?? そういう見方は俺流で面白いんだけど。
なんでそう思うかって?
だって当時ドガの部屋の隣に住んでいたらドガはただの「隣のおっさん」だもの。
でしょっ!(笑)

さて来週の「日曜美術館」は一体誰だろう・・・。

以上
by seijitsushimi | 2010-12-22 01:06
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