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堕ちた政治家と無気力な国民

今回の東北の震災、そして福島の原発事故。日本というこの国の歴史において、世界大戦で唯一原爆を投下され
て被爆国になった大事以来の大事ではないか? そして皮肉にもその間の平穏無事な(もちろん国を挙げての努力
もあってのことであるが)
時間の中で、恵まれた経済状況や世界のどこかで戦争が起きても、被爆国であるから軍隊をもたないという憲法に
記されていることだけを大義名分に、連合国軍に参戦することなく、経済大国という肩書を武器に、
血も汗も涙も流さず金の力だけを誇示し、表向きは社会平和に大きく貢献している優秀な実力国かのごとく
態度を取り続けた生ぬるい国質が、今の低俗でモラルを失ってしまった政治家たちを増殖してしまっていることに
気付かされ、俺は嘆き悲しんでいる

先日TVの報道で、福島の酪農家の男性が被災前に借金をして建てた新築の牛舎で首をつって死んだ。
原因はもちろんこのたびの原発事故による被害で、牛乳の出荷停止となり、
生活の糧である大切な乳牛を借金の返済等のために手放さなければならなくなり、それによって将来を悲観したのだ。


今後こういう自殺者が増えていくだろう。
いまだ避難所で暮らしている多くの被災者たちは、いつかはそれぞれが自立して生きてゆかなければならない。
大切な家族を亡くし、一家の大黒柱を失い、経済力も失い、仕事にも就けず、悲観してしまうと「死ぬほうが楽だ」と考えるほうがごくフツーの発想になろう。 それほど今、「平時」ではないことは当事者でない我々にとっても明らかだ。


被災した各自治体も被災者であり、限られた人数の職員たちで毎日復興に向けて努力している姿、
また国が動いてくれないことや、従来の条例や規制に阻まれ、思うように進まないことがさらなる
復興の足かせにもなっていることは報道でも頻繁に目にする。

そうした場合、被災しなかった東京にいる国民のリーダーである政治家たちは一人でも多くの被災した国民の命を救うべく方法と手段を考え、行動を起こさなければならないし、これこそが政治をつかさどる政治家の仕事ではないか?

昨日も補正予算案を通す、通さない、リーダーを降ろす、維持する、で相変わらず永田町ではおやじどもが与野党間で政局をやっている。
さらには党内部での分裂、なんて事態も起きている。
政治のトップである総理大臣に至っては、カメラが廻っていることも知りながら、マイクをもってニコニコ笑いながら被災者にとってはまさに「生きるか死ぬか」の問題を 我が首相の座を維持したいがばかりに熱弁しているシーンを見るたびに
憤りや滑稽を通り越して吐き気さえしてくる。


海外メディアの目からは一体どのように写っているのか?
世界中の人々が日本を想い、心を痛め、心配し、助けてくれている。
先日もデンマークの皇太子が、被災地に足を運んだ。皇室レベルでははじめてらしいが、
新たに義援金を被災者あ側に直接手渡したそうだ。理由は政府や団体経由では余りにもスピード感が無いから。
最もな話である。

数日前の朝の番組で、みのもんた氏が紹介してた。自分が被災地に入ったときに
直接被災者に言われた言葉が印象的で今でも心に重くのしかかると。
「みのさん。 今度の災害がもし東京で起きていたら、もうがれきはきれいに撤去されているよな。」と。

無能な政治家たちは、もちろんだが、結局のところ我々被災しなかった国民たちも、口々に今の政治批判やもっともらしい正論を決して語気を強めることなく語ってはいるが、
当事者意識が無いのである。「対岸の火事場」なのである。
政治家も東京の我が家が瓦礫になれば真っ先に政治を動かし法を動かし、重機を入れ撤去作業に入るに違いない。

もしかすると、政治家の多くが戦争体験が無く、助け合って生きることを経験から学べてないのが理由かもしれない。
特に都会では「個」としての生活体系が主流になり欧米化、デジタル化され、集団意識や助け合いの精神、隣近所のコミュニティーなど、時代とともに希薄になって来ているように思う。

皮肉にも今回被災した東北の方々は、昔ながらの日本人的な控えめで、優しく、思いやり、近隣との深いきずなやつながりが、いまだ残っている昔の日本的社会の多い地域なのである。


昨日、ギリシャの首都アテネで再び国民の大規模なデモが暴動になり多くのけが人が出た。
周知である財政難のもと、首相が政府の緊縮政策を議会と国民に受け入れさせるため内閣改造を表明した事に抗議し、反対する国民が一致団結立ち上がるわけである。
手段が暴力であることは間違っていても、逆に考えると、そうなってしまうほどに深刻な問題ではないかと考えるほうが現実ではないか?


この非常時において我が国の政治が間違っていると個々に口々に言うだけで、結局当事者でないことで東北 福島が、いわゆる「対岸」となり 国民の力で政治を変えていこうなどというアクションはこの国の国民には、まるで出来ないし、発想もないのである。
自分さえよければいい。人の痛みをうわべでしか理解できない、しようとしない無気力で、非生産的な国民にいつから成り下がってしまったのか。

諸外国から有り余る善意の気持ちをありがたく受け取りながらも、
アホな政治家どもは、その気持ちに恥じぬよう被災当事国のリーダーとして国民の気持ちを一つにまとめ、一致団結し、政治力で迅速な復旧、復興に取り組むどころか、この狭い島国で、なん時も我欲に支配されるがままの茶番政治を
日々繰り返す事は是非ともお辞めいただきたい。
一人の国民の いや多くの国民の切なる願いです。

日本の国の将来を悲観する前に、これを機会に政治のリーダーは国民の直接選挙で
選ばれるべきであり、そうすることで政治家も国民も、さらに国政に対し責任をもつようになり
政治意識も高まって行けることに気がつかなくてはいけない。
そして国民一人一人も本当に我が国の将来を真剣に考えるならば 一致団結し国民が政治を動かすほどの気力と行動力とをもって取り組まなくてはいけない。
これまでが世界に誇れるスーパー平和でハッピーな国家だったのだから・・・。
やるときゃやらなきゃ。・・・。ね。
by seijitsushimi | 2011-06-16 15:49
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