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2011年 05月 30日 ( 1 )

古典落語の限界

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今回の演目の中で、もっとも印象的だった。ギタレレ漫談で自虐ネタを披露する芸人 ”ぴろき”

ここ数年の間に、日本の演芸、特に落語を見に行くことが多くなった。
場所は新宿にある「末広亭」。老朽化のために取り壊しが決まっていると聞いたことも
あり、今のうちに身近な日本の演芸に触れておこうという思いもある。

その世界の知識や常識、難しいウンチクは重要ではなく、一庶民としてのお笑いファンである。
何度か足を運んでいるうちに、今ではすっかり私の趣味の一つになってしまっている。

先日も休みを利用して、我が銀座の店に仕事で出かけ、
新宿によって、それこそふら~っと落語を楽しむことにした。

幾度か聴いているうちに、落語には有名な「噺」がいくつもあり、どこかですでに聞いたことのある話を耳にすることが或る。そういう時はさすがに眠気がすさまじく襲ってきて、座席の上で
軽いエコノミークラス症候群になりながら、寝返りを右へ左へと打ちながら眠る。

話が終わり、観客の拍手で、目が覚め、さらに次の噺家(はなしか)がよぼよぼのおじいちゃんで、
さわりからおもしろくなさそうだと、また眠りに入るという具合だ。

反対に話が面白いとか、噺家自身に面白みがあれば完全に聞き入ってしまう。
そうなると、「落語」がますます好きになってくる。


昼の12時から始まり、4時でとりあえず昼の部が終了。
入れ替えがなく、そのまま見たければ夜の部の最後の演目までずーっと見ることが出来るのも
さすがに庶民の娯楽「落語」を見る楽しさの一つでもある。

昼の部が終わり、休憩をはさんで、夜の部が始まる前に、いわゆる「前座」が一席を演じる。
ほとんど、見るからに新米で、まだまだ修行の身といった、固く、落ち着きがなく
、聞いていてひやひやするような若者が、経験と練習の意味で、客の前で演じる。

「ジュゲム ジュゲム・・・」から始まるいわゆる古典落語の代表的な前座噺、暗記、間のとり方の練習のための
「噺」である。

ここから本題に入る。
古典落語の歴史も知らなきゃ、噺家系何ぞ おそらく顔も名前も一致する落語家は片手くらいしか
知らない俺が 意見を述べるなどと大それたことは考えないが、
自分個人の意見としては、落語も「世代」、いや、「時代」の交替を迫られるのではないか?

客として、前座にたつ若者にピュアに求めることは、若さなり、彼の今の時代なりの「芸」「噺」だ。

暗記して喋りまくる古い時代の落語や漫才には、「お笑い」の限界が或るだろう。

お笑いブームや、お笑いタレントが氾濫して大洪水状態の今、たいていの話や芸では客は笑わない。

客が「笑うこと」に貪欲になり、その結果、仕方なく面白くもない「芸無し芸人」があふれかえっている。

だからこれからは、会えて記憶しない、「間」のとりは自然に任せ、噺家本人が考えることをアドリブでそのまま
噺せばいい。

もちろんそれでも笑ってもらえない噺家はたくさんいるだろう。
それは向いていないということで、その道をあきらめるしかないし、当然諦めねばならない。

二十歳そこそこの入門したての若者が、「ジュゲム ジュゲム・・・」とやるよりも、
自分なりの言葉で、実際に自分におこったことや、体験したことなどをもとに
面白可笑しく話せられれば面白いにきまっている。

ようは、記憶力や間の取り方を訓練するよりも「感性」を磨いていくのだ。

すべてにおいて「基本」は大事だ。
だが、残念に思うのは、我々料理の世界も同じだと思うが、昨今の現象を見ていると、
基本がなくてもそれはそれなりに、独立開店してうまくやっていける時代なのだ。
そこに感性が研ぎすんでいるとも思わないが、とりあえずそういう子たちが
時代をリードしつつあることも事実だ。

落語もしかり、アホキャラやオカマがお茶の間を支配しつつある現代の芸人の「芸風」
において、「ジュゲム ジュゲム・・・」を記憶する若い芸人者たちは、
いずれ王道である落語を演じる場所さえ、時代によって消されてしまうのではないかと
心配してしまう。

実際に、いつも末広亭に足を運ぶ人たちの多くは、昭和か、それ以前に生まれた世代ばかり
、「落語ブーム」とはいえ、若い客は数えるほどしかいないし、増えているようにも思えない。
全体客量も決して多いとはいえない。
それが証拠にしばしば落語の中に客入りの少ないことをネタに笑いを取る芸人もいるくらいだ。


定年のない芸人、とりわけ「落語」の世界で、師匠と呼ばれる方々がご高齢である
という理由もあり、いつ、どのタイミングで落語の世界が変わっていく事は想像しがたいが、
そのうち、「志しても飯が食えない」という理由で、入門する若者がいなくなることで
落語自体が消えていくのではないか?

末広亭のようなあの小じんまりした風情と歴史を感じることの出来る劇場
は消えてなくなり、大きな鉄骨作りのドームのようなホールで粋な小噺を聞く時代が来るのであろうか?
ジュゲム ジュゲム・・・」を練習している新米噺家が時代に取り残されなければいいのだが。
余計な心配をしながら末広亭の玄関をあとにするころ、外はもうどっぷり日が暮れていた。


毎度、昭和から、平成に再タイムスリップしたような気持になるが、
今回、色々と考えさせられるこの時代のギャップも、いわば落語の現代風の楽しみなのかもしれない。もしかすると・・・。
by seijitsushimi | 2011-05-30 17:20